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Shooting Star 〜7つの虹色くんたち〜

ジャニヲタがただわちゃわちゃキャーキャー言ってるだけのブログ。たまにハロプロ。関西の三十路もうすぐアラフォーのおじさんたちとそれを追いかける若者たちが特に好きです。

今年絶対くる!ジャニーズWESTについて

ジャニーズWESTの素晴らしさについて伝えていきたいと思う。

私はツイッターエゴサーチが大好きで、彼らが番組に出るたび

エゴサーチをしているのだが、

よく見かける事として、

関ジャニジャニーズWESTの区別がつかない」

との意見をよく見かける。

まあ、側から見たら関ジャニとやっていることは同じだし、関ジャニの背中を見ているのだから仕方がない。

何故二番煎じと言われるのか...

理由は2つあると思う。

 

関西弁を使ったお祭りソング

双方のデビュー曲は、

関ジャニ∞がなにわいろは節、

ジャニーズWEST はええじゃないか

なのだ。

 

09-10 デビュー曲メドレー(関ジャニ∞&NEWS) - YouTube

関ジャニ∞ 難波いろは節

※申し訳ありません。初期の動画はありませんでした。

 

 ジャニーズWEST「ええじゃないか」 - YouTube

 ジャニーズWEST  ええじゃないか 

 

双方の共通点として、

わかると思うが、メインボーカルが決まっていること。

難波いろは節でパートをもらえたのが

渋谷すばる 内博貴 錦戸亮

の3人なのだ。

この3人は初期の関ジャニ∞で推されていた3人で、現在の関ジャニ∞の曲を支えている、

安田章大 大倉忠義 丸山隆平

の3人はパートは一切もらえなかったのだ。ちなみに関ジャニ∞はデビュー前の2002年から関ジャニ8として1から一緒に活動を共にしてきた仲間なのである。

 

一方、ジャニーズWEST はというと...

この曲は、

重岡大毅 桐山照史 中間淳太 小瀧望 

の4人のみである。

この4人は、もともとジャニーズWESTが発表された、ジャニーズカウントダウンでのメンバーである。

藤井流星 神山智洋 濱田崇裕

の3人は、関西ジュニア時代からずっと活動をしてきていたものの、

メンバーに入ることはなかったのだ。

なら、新規は思うのであろう。

なぜ、下記3人はメンバーに入れたのか?

ジャニーズWESTは関西ジュニア時代から一緒に活動していたものの、

グループでは別に活動していた。

 

多分、これを読んでくださっている皆さんも知っているかもしれないが、

ごくせん3の関西弁2人を演じていた、

B.A.D.というグループと

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かつて中山優馬も所属していた、

関西ジュニア内で1番な人気を誇っていた7WESTというグループと、

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相方が先に辞めてしまい、

ソロで活動していた濱田崇裕

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 3グループからならグループなのである。

 

その3グループは関西ジュニアのトップとして、2012年終わり頃から一緒に活動することが自然と増えていった。

 

シルエット 関西ジャニーズJr. - YouTube

※ すみません。本当は7人で歌ってる動画があるのですが、削除されていました。

 

2013年の夏、ANOTHERという舞台でジャニー喜多川からこんなことを聞く。

「来年は関西からデビューさせないとね」

そこで、彼らは思ったのだ。

絶対この7人でデビューしたる!!!!

7人はそう決心し、デビューを待ち望んでいたのだ。

 

だが、現実がそう簡単に行くわけもなく...

 

2012年から13年にかけて放送されたジャニーズのカウントダウンでは関西ジュニアは出演したのだが、

「今年の出演は、関西からはありません」

そういうメールが藤井、神山、濵田の3人に届いたらしいのだ。

そう、この3人は悪い言い方をしてしまうとはめられたのだ。

2013年から2014年のジャニーズのカウントダウンで、デビュー発表が行われた。

 

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ジャニー喜多川から30分前に名前を決めてもらったという、出来立てホヤホヤの伝説のグループジャニーズWEST4

と名付けられた。

のちのデビュー曲となるええじゃないかを歌いながら。

私は当時キスマイファンだったため状況は当時の情景を語る雑誌や当時から好きだというファンの情景しか知らないが、

ツイッターは荒れ果てていた記憶はある。

神山、藤井、濵田はそれぞれこう語っている。

藤井「発表があった瞬間、俺も入りたい。とジャニーさんに言おうとしたけど、現場の状況がわからないからとりあえず優馬(中山優馬)に電話した。そしたらすぐにジャニーさんに電話かけろと言われた」

神山「4人でのデビューを知らされた瞬間一気に体温が下がっていった。周りの音が一切聞こえなかった。絶望しかなかった。なんでなん?俺がなんかしたん?って」

濵田「4人が動いてくれてるってことを洩れ聞きしていたんです。それでも状況は変わらなかった。シゲに色々動いてくれとるらしいな、ありがとな。ってゆったんです。さしたら真剣な顔で100パーセント入らないと思わなくてもいいと思います。今はそれしか言えないですけど。って」

中でも藤井は諦めなかったそうだ。

中山優馬からの電話の後、

濵田、神山に直接電話を入れて、

「おれ諦めへんから」

とだけ伝えて電話を切ったそうだ。

【ジャニーズWEST】デビューへの苦労と絆 - NAVER まとめ  

※詳しく書くとだいぶ長くなってしまうので、もっと詳しく知りたくなった方はこちらをご覧ください。

 

選抜メンバーだった4人の努力あり、

ジャニーズWESTは7人組で活動することを認められた。

彼らはジャニーさんに頭を下げたらしいのだが、実質は現場の監督であるメリー喜多川に頭を下げたらしい。

 

ジャニー喜多川は後々、この話をこのように語っていたのだという。

「4人組にして、3人を俳優として育てる予定だった」

と語っていたのだ。

確かに、藤井、神山、濵田はその頃、

SHARKでメインキャストに選ばれたり、藤井はデビュー前にミスパイロットに出演したりと俳優で育てていく覚悟があったのかもしれない。

 

話を戻して、晴れて7人組となったが、

初期の彼らの写真をご覧いただこう。

 

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キスマイと同じ現象である

以上格差があることにお気づきだろうか?

そう、次の壁は衣装格差に悩まされたのだ。

 

そのことについて中間淳太はこのように語っている。

 

中間「最初3人だけ装飾が少なかったり、流星だけ感が少なかったりしたんです。衣装さんに頭を下げて少なめにするならもう全く別のものにして黒にしてくださいって。他にも神ちゃんが帽子が被りたいと言ったんですが、事務所にそれはなし、と言われたので、神ちゃんが望むなら僕、似合わない帽子も被ります」

と直談判をしたようだ。

努力の甲斐あってか、ジャニーズWEST は衣装格差も、歌唱格差もなく、現在では本人の特性を生かしたパート分けをされていたり、歌唱力もみんなずば抜けて下手なメンバーがいないため均等に振られている。

 

こんな風にジャニーズWESTは自らジャニーさんという名のメリー喜多川に頭を下げ続け、メンバーが望み続けた7人が平等というものを手に入れたのだ。

 

少しでもこのブログを見て興味を持っていただいただろうか。

今回は現在のジャニーズWESTになるまでを話したが、次回は関西ジュニア時代のエピソードをまとめていきたいと思う。

 

ご覧頂き、大変ありがとうございました。また次のブログも見て頂けると幸いです。では、次のブログで。バイバイ